西欧の学者の研究によって、仏教がどういう宗教なのかはっきりしてきました。仏教はバラモン教の分派から始まったため、両者には共通点があります。
バラモン教は、「苦から逃れる」ということを目的とします。お金であれ肉親であれ自分の若さであれ、自分が大切にしているものはいずれ無くなります。大事なものが無くなった時に、人は精神的に「苦」を感じます。
そこで修行をしてものに対する執着を無くせば、苦を感じなくて済みます。だから修行のはじめに、家族や財産などをすべて捨てて出家し、苦の原因を取り除くわけです。
仏教も「苦から逃れる」ということを目的としています。
ところが修行のやり方が、バラモン教と仏教では違います。「ブラフマン(天にいる神様)とアートマン(自分の魂)が同じでつながっていることを理解したら、ものに対する執着はなくなり、苦を逃れることができる」と、バラモン教は教えています。
おしゃか様も29歳の時に王子の地位と妻子を捨てて出家しました。そして6年間厳しい修行をしましたが、ブラフマンとアートマンがつながっている、という実感を得ることができませんでした。
そこで「天にブラフマンがあるか否かを考えても、無駄である。ただ自分の心の中を見つめて、ものを持ちたいという欲望がわき起こらないように修行したらよい」という結論を出しました。これがおしゃか様の教えの本質です。
「自分が大切にしているものに対する想いを断ち切る」のはものすごく難しく、凡人には無理です。そこで仏教は様々な理屈をつけて、このぐらいならものを持っていてもよいだろう、と修行の厳しさを緩和していきました。
大乗仏教は、「ものを捨てる」という修行の厳しさを大幅に軽減しています。明治になって西欧に留学した僧侶は、もともとの仏教の教えが大乗仏教と大きく違うことに驚きました。中には「大乗仏教は仏教ではない」と主張し、破門された僧侶もでてきました。