19世紀に西欧は世界各地に植民地を作り、現地人を農園などで働かせました。現地人労働者は給料をもらったら、金がなくなるまでは働こうとしませんでした。この状態に業を煮やした白人の雇い主は、給料を2倍にしたらモチベーションが上がって、よく働くだろうと考えました。
ところがその結果は、現地労働者の働く日数が半分になっただけでした。彼らは自分の生活のために働くのであって、働くこと自体に価値を見出しません。
これに対して白人のキリスト教徒は、仕事は隣人愛の行為だと考え、生活費を十分稼いだあとも働き続けるのが正しいという教育を受けていました。
良い製品や良いサービスは他人が求めるものだから、それを提供するのは人助けだということになるのです。このへんの事情は日本人も同じで、自分の役目を果たそうとよく働きます。
生活費以上に稼ぐので資本が蓄積され、産業革命が起きて資本主義の世になりました。資本主義はただ金があれば生まれるというわけではありません。このことは、中東の石油産出国を見れば分かります。プロテスタントの隣人愛の精神や神道の誠の考え方が必要なのです。
「仕事とは隣人愛の行為だ」という考え方は、特に産業革命後のアメリカで強くなりました。この考え方も、自由の解釈の一つです。
事業に成功し大富豪になったアメリカ人の口癖は、「他人の役に立ちたいという強い願望を持てば、仕事の価値が自然に他人から認められるようになる」というものです。
隣人愛を持てば仕事がうまくいき、金持ちになるのです。ビル・ゲーツもこのように考えているそうです。
イエス・キリストと同じ心を持って隣人愛に励めば金持ちになるわけですから、貧しい人は正しい信仰を持っていないわけです。現在のアメリカの保守派が社会福祉に否定的で、経済的格差をあまり問題視しないのは、こういう理由が背景にあります。