経済的自由

「イエスと同じ正しい心で行うのであれば、律法や法律・慣習などのルールを無視してもよい」という自由の考え方を経済活動に当てはめると、自由主義経済になります。

良い商品やサービスを安く提供することは人を助ける正しい行為だ、と自由主義経済論者は主張します。そしてその実現のために従来の法律や慣習が邪魔であれば、それらを取り除いても構わないと考えます。

だから経済の自由化とは、従来の社会の約束事を打ち壊すことです。200年ほど前のイギリスは綿織物工業が非常な好景気で、インドやアメリカから輸入した綿花を職工が手作業で織物にしていました。

しかしこれでは効率が悪くて生産量が需要に追い付かずコストも高かったので、経営者は機械を導入しました。機械の導入は、職工の働き方・生産の仕方などそれまでの社会の慣行を打ち破り職工の職を奪いました。

そこで失業した職工たちが工場の機械を破壊するという大騒ぎが頻発しました。これが経済学史上有名な「ラッダイト運動」です。

経営者からすれば、商品の品質は上がり価格は安くなったので、自分たちのしていることはイエス・キリストの心にかなう正しいことだという確信を持っていました。そこでうしろめたさを感じずに、合理化を推し進めました。

「自由主義経済」などという、純粋な金勘定の世界に関連し、宗教などまるで関係のないように見える言葉でさえ、キリスト教の信仰が根底にあります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする