嘉永6年(1853)にペリーが黒船に乗って日本にやってきてから明治10年(1877)に西南戦争が終わるまでの24年間、日本をどういう国にするかを巡って多くの暗殺・内乱が起き、数万人が命を落とし、さらに多くの人が傷つきました。
このような大騒ぎの末に、天皇陛下を中心とする統一国家を作って近代化にまい進する、という大方針が日本人の腹の中にずっしりと入りました。この時に、大日本帝国憲法は実質的に成立しました。この後、実質的に成立した憲法を紙に書いて成文法化する作業を伊藤博文などが行い、明治22年に成文憲法典である大日本帝国憲法が公布されました。
憲法というものは、必ずしも紙に書かれているものに限りません。イギリスには「大英帝国憲法」なる憲法典など存在せず、昔からの法律、国王と国民との間の契約書や歴史上の事実などによって表現された思想の全体を憲法と考えています。
こういう意味では憲法のない国などありません。日本も成文憲法典こそ大日本帝国憲法が最初でしたが、奈良時代の律令体制、江戸時代の幕藩体制など、みな実質的な憲法に基づいて作られた体制だったと理解すべきです。
繰り返しますが、幕末から明治初期にかけて日本人は実質的な憲法を作り上げました。その後明治22年に、その内容を紙に書いて成文法にした大日本帝国憲法が、公布されました。
大日本帝国憲法はちゃんと成立しています。