1500年前も、日本は朝鮮人の憧れの地だった
朝鮮の正史である『三国史記』には、新羅王の一族は日本人だった、ということが書かれています。倭国の東北一千里のところにある多婆那国(北陸にあっ...
朝鮮の正史である『三国史記』には、新羅王の一族は日本人だった、ということが書かれています。倭国の東北一千里のところにある多婆那国(北陸にあっ...
新羅が半島を統一したのは676年です。そして『三国史記』という正史を編纂してそれまでの半島の歴史を書きました。ところがそれが書かれたのが、半島を統一してから469年後の1145年なのです。新羅はそんなに長い間なぜ正史を編纂しなかったのしょうか。
朝鮮半島の南部と北部は、種族的にも・主要な産業においても・気候風土においても違うのです。そしてその境目が今の南北朝鮮の境界の38度線より少し北の北緯39度線あたりです。
女真人は、満州と朝鮮北部にまたがる広大な地域に高句麗を建国しました。我々は高句麗を朝鮮の国家だと思い込んでいますが、国土を考えると朝鮮からはみ出した国家で、むしろ満州の王朝です。しかも南部の韓人とは種族が違います。
劉邦が前漢を建国した時に、衛満という支那人が朝鮮に逃げてきて、半島の北半分を支配する衛氏朝鮮を建国しました(BC195年)。これが朝鮮における最初の国家らしきものです。
白村江の戦い後に、百済にいた日本人の一部しか日本に帰国させる方法がなかったでしょう。残りは朝鮮に留まり、次第に朝鮮人と混血していったと思われます。
朝鮮南岸にも縄文遺跡があるのですが、日本の縄文土器と極めて似ている土器が出土するだけでなく、富山県の糸魚川でしかとれないヒスイで作った製品が出土しています。
戦争による征服や移住といった事件による血統の大きな変化は、遺伝子工学の発達によって、最近になってやっとわかるようになりました。
DNA鑑定をすると、日本の稲と支那や朝鮮の稲は別系統であることが分かりました。黒潮に乗った我々のご先祖様が、稲作を直接日本に持ち込んだ、と考えられます。
「日本人の先祖は朝鮮半島から渡ってきた」という俗説が誤りであることをこれから書きます。日本の歴史が様々な文献によってはっきりしてくるのは、日...