是清は、日露戦争の戦費調達を政府から命じられた

是清は、日露戦争の戦費調達を政府から命じられた

日本と英国は同盟国でしたが、イギリスはこの戦争に対して局外中立の立場を維持していました。そのため、軍費の調達に協力するのは局外中立の立場に抵触するのではないか、と銀行家たちが心配していたのです。是清はこのような国際法上の問題は無いということを知っていたので、銀行家たちに「君たちの信頼する法律家や歴史家たちに調べて貰ったらよかろう」と提案し、彼らの疑念を解消しました。

是清は、詐欺事件に遭って素浪人になった

是清は、詐欺事件に遭って素浪人になった

是清はペルーと日本との合弁の鉱山会社の日本側代表となって現地に赴きました。ところがこれが詐欺事件で、結局是清はこの事業を中止し、株式会社を解散しました。そして是清は全財産を失いました。彼はペルーに行く前に役所を休職していましたが、今さら戻ることもできず、素浪人になりました。

是清は15歳で大学の先生になったが、芸者遊びをして先生を辞めた

是清は15歳で大学の先生になったが、芸者遊びをして先生を辞めた

是清はアメリカに勉強に行ったのですが、本格的に英語を学んだのは帰国後でした。翌年、彼は大学南校(後の東京大学)の教官になりました。アメリカに滞在しさらに1年間日本で英語を勉強しただけの満15歳が英語の先生になれたのですから、当時いかに洋学の人材の層が薄かったかが分かります。

神様に愛されている、というのがFreedomや誠の出発点

神様に愛されている、というのがFreedomや誠の出発点

「仲間を助けるためならば、少しぐらい世間のルールから外れても構わないじゃないか」というのが、Freedom(自由)や誠の考え方です。これをやると、周囲の人たちがほおっておかなくなります。Freedomや誠の教えをまじめに実践する人は少ないので、やれば目立つのです。高橋是清はこれを実践しました。

是清はひがまなかった

是清はひがまなかった

是清の子供時代は非常に幸せでした。非嫡出子として生まれ養子にやられても、是清はひがみませんでした。自分が育った環境が普通の人とは違うということを本人も分かっていましたが、それがかえって自分には幸運だった、と思っていたようです。