「忠臣蔵」は自由の物語

日本人は300年以上前に起きた赤穂浪士の事件に今でも熱狂し、四十七士を武士のかがみとして尊敬しています。しかし実際は、彼らは犯罪者です。

彼らの主君の浅野内匠頭は、裁判の判決によって切腹させられたのであって、吉良上野介が殺したわけではありません。それなのに四十七士は上野介を殺害したのだから、話の筋が違います。首都で徒党を組んで幕府の高官を殺害したので、内乱罪を犯したことになります。

事件を起こして取り調べを受けた内匠頭は、「吉良上野介に恨みがあった」と言って切腹しました。そこで大石内蔵助以下の家来たちは、主君の恨みを晴らさなければならなくなったわけです。

四十七士は、吉良を殺すことで大名家に仕官しようとか金銭的に利益を得ようなどとは考えず、純粋に主君の恨みを晴らそうとして行動しました。

この心情に日本人は感動し、正義を感じたのです。そこで四十七士が表面的には犯罪者であることは重々承知しながら、「彼らは正しいことをした」と思いました。

キリスト教の信仰から来た「自由」を思い出してください。「イエス・キリストと同じ正しい心で判断した時は、世の中のルールを無視しても良い」ということでした。日本人も四十七士の行動に対して同じような考えを持ちました。これが「」です。

佐藤直方という儒者は、本場の支那の儒教通りの学説を主張する儒者で、四十七士を単なる犯罪者だと断定し極刑を主張しました。日本人の心情とかけ離れた意見を表明したため、当時は非常に有名な学者だったのもかかわらず、後世の日本人は彼を評価せず忘れ去りました。

このように、支那には「自由」や「誠」という考え方はありません。世の中が変化すれば、従来のルールが現実に合わなくなり、新しいルールが必要になります。しかし「自由」や「誠」がないために、考え方を刷新できず昔からのルールに固執します。

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