ウソをついても良い時がある

キリスト教の律法(信者が守るべき掟)は、「ウソをついてはならない」と定めています。これを破れば人は天国に行けません。また、「隣人愛を行いなさい」「人を助けなさい」とも教えています。

では「ウソをついてはならない」という律法と「人を助けなさい」という教えがぶつかったときはどうなるのでしょう。

あなたが家にいるときに友人がやってきて、「やくざに追われている。つかまったら殺される」と言ったとします。あなたは友人を二階の押し入れに隠すでしょう。その後にやくざが家に来て、「お前は友人を隠しているだろう。出せ」と言ったとします。もしも正直に友人が家に隠れていることを告げたら、やくざは家に上り込んで友人を殺すでしょう。

あなたは隣人愛の教えに従って、友人を助けなければなりません。一方あなたはウソをついてはなりません。

キリスト教は、イエス・キリストと同じ正しい心で隣人愛を行うためにしたのなら、律法を破っても良いと考えます。この例の場合、イエス・キリストも「そのような者はこの家にいない。出ていけ。警察を呼ぶぞ」とウソをつくでしょう。

このときあなたは、「ウソをついてはならない」という律法に拘束されません。律法から自由になっています。実はこの考え方が、欧米キリスト教社会の、自由の考え方の基本です。

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