満州は支那のものだ、と言い出した

自国の安全保障のために日本は戦争をし、その結果朝鮮だけでなく南満州の権益をも得ました。そこには満州人・支那人・朝鮮人などが住んでいるので、彼らの福祉向上に努めることが統治者の務めだと考え、日本は社会インフラ・教育・医療・産業などにものすごい額の投資をしました。支那本土より安全で豊かになったので支那人が満州に殺到し、満州はますます発展していきました。

ところが第一次世界大戦の終了と共に、満州の状況が激変しました。ロシア革命が起き、ロシアに共産党政権(ソ連)が誕生したのです。日本は反共産主義を国是としていたので、ソ連を敵視していました。そのためにスターリンは支那を味方にしようとして、「満州は支那のものだ」と言い出しました。

当時の世界中の知識人には共産主義に好意的な者が多く、アメリカのルーズベルト大統領の取り巻きにも共産主義に賛同する者が多くいました。彼らはソ連の戦略に沿って、アメリカが支那を助けるように暗躍していました。

さらにアメリカは伝統的に支那に進出しようとしていたので、大陸で勢力を拡張している日本をライバルと考え、敵視するようになりました。このようにソ連とアメリカがそろって、日本の勢力を抑えようとしたのです。

孫文や蒋介石は、この時代の変化に便乗して、「住民の大多数が支那人だから、満州は支那のものだ」と主張しはじめました。そして「日本は他人の土地に勝手に投資したのだから、投資したものをすべて置き捨てて、裸で出ていけ」と主張しました。

日本は勝手に満州に投資したわけではありません。ロシアや清朝と交渉し条約を締結したうえで、投資を行っています。ところが、孫文や蒋介石はこのような経緯をすべて無視して、「日本は泥棒だ」と言い続けたのです。

日本はこの言い草に腹を立てて満州事変を起こし、さらにずるずると大東亜戦争(太平洋戦争)に向かっていきました。

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