古墳は墓ではない

前回の「仁徳天皇は優しい方ではなかったの?」の続きです。

「古墳は権力者の墓として作られたものではなく、荒れ地を整地して水田を作った時に出た残土を積み上げたものだ」、ということを主張している古代史学者はいまだに出ていないと思います。そういう事実を証明する遺跡や文書がないからです。

その一方で古墳の中から実際に石棺が発掘され、遺骨が出ています。だから断片的な証拠だけを繋ぎ合わせると、「古墳は権力者の墓だった」という結論しか出てきません。

こういう状況を承知しながら、小名木さんの説に耳を傾け自分自身で合理的に考えることにより、我々の古代に対する理解が深まっていく、と私は考えます。

小名木さんの説の概要は、次の通りです。

仁徳天皇陵があるあたりは、荒れ地だった。その土地の表面を削って平らにし用水路を掘って水田を作り、余った残土は一か所に集めて山にした。この水田開拓の最盛期が仁徳天皇の時代で、民は陛下の業績に感謝し、薨去されたあと残土の山を陵にして陛下をしのんだ。民を豊かにした公共事業を「権力者の墓だ」と主張する学者は、「横暴な支配者が民を苦しめた」ということにしたいのだろう。

小名木さんは、歴史学者とは全く違った視点で断片的な証拠を繋ぎ合わせ、従来説と全く違った結論を導き出しました。

仁徳天皇陵など大きな古墳には、古代の支配者が埋葬されているので、墓であることは間違いありません。しかし最初から墓としてあれだけ大きなものを作ったという記録もないのです。

だから最初から、「古墳は権力者の墓として、人民を使役して作られた」という説は、思い込みがベースになっています。そしてその思い込みは、「国家は悪いことをする」という感情から出てきたように感じます。

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