外国人は、社会契約上の権利を要求できない

社会契約説は、「どの国にも属さない人間たちが、どの国にも属さない土地に集まって、みんなで契約を結び国の枠組みを決めて、国家を作った。その契約とは、個人が自分の権利の一部を国家に預け、国家は個人から預かった権利を行使する」という考え方です。

みんなが集まって国家を作った時にその契約に参加しなかった者は、国家のメンバーではなく、契約で決められているサービスを国に要求する権利がありません。社会契約説は、「国民ファースト」の考え方なのです。

後からその国にやってきたり社会契約に参加しなかったりした者は、自分の持っている権利を国家に預けておらず、国家から契約に基づくサービスを受けることもできません。

例えば、人間は誰でも敵からわが身を守る「自衛権」を持っています。その自衛権をみんなが国家に預け税金を払う社会契約を結びます。すると国家は警察を作り、国民の代りに強盗を捕まえるのです。

社会契約に参加していない外国人は、わが身を守る「自衛権」を自分で持ったままで国家に預けていないので、警察に助けを求めることができず、自分で強盗と戦わなければなりません。これが原則です。実際には警察は外国人も守りますが、これは恩恵としてついでにやっているだけで、警察には社会契約上の義務はありません。

外国人もその国に税金を払っていますが、それはよそ者が払うショバ代のようなもので、社会契約上の権利を要求できるようなものではありません。

社会契約説は、古い絶対主義体制から抜け出そうとしていた18世紀半ばに、西欧人に徐々に広がって行きました。西欧人は社会契約説を、現実には存在しない理想のモデルだと考えていました。ところがちょうどその時にアメリカが独立し、実際に社会契約説のモデル通りの国家を作り上げてしまいました。

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