17世紀になって、イギリスはアメリカに植民地を作り始めました。アメリカに移住を希望する者が、仲間を募り資金を集めてから、イギリス国王に植民地を作る許可を求めました。そこで国王が彼らに「特許状」を交付しました。
「植民地」というと白人が現地人を征服して追い使うというイメージがありますが、イギリスがアメリカに作った「植民地」というのは、簡単に言うと「地方自治体」です。移住者はイギリス国籍を持ち続け、植民地内ではイギリスの法律が施行されます。
国王の特許状というのは、「地方自治体」たる植民地の概要を規定したものです。その植民地の境界を記し、その中でどういう議会や行政組織を作るか、イギリスに対する税金はいくらか、などが決められています。
1620年9月、100人余りの移住者が乗ったメイフラワー号が、現在のニューヨークをめざしてイギリスの港を出港しました。ところが途中で嵐に遭ったりして、11月末にニューヨークより500キロばかり北西のマサチューセッツ州プリマスの海岸にたどり着きました。もう冬になるので船の中で越冬したのですが、その間に病気で半数が死にました。もはやニューヨークに行く元気がなかった移住者たちは、予定を変更してプリマスに植民地を作ることにしました。
国王から交付された特許状には、植民地の場所はニューヨーク近辺だ、と記載されています。だから国王の特許状はプリマス植民地には適用されません。そこで船の中で移住者たちは会議を開き、プリマス植民地政府を作る契約を作りました。この契約は、「大勢の人が集まって、誰のものでもない土地に新しい国家(地方自治体)を作ることを約束した。そして各人の持っている権利の一部を国家に預けた」というものです。この契約は社会契約そのものです。