日本も社会契約説を受け入れた

フランス革命の初期に活躍したのが、ラファイエット侯爵などの若い貴族でした。彼らはアメリカの独立戦争を支援するためにフランスが派遣した軍隊の将校としてアメリカに渡り、そこで社会契約説から大きな影響を受けました。

そしてフランスでも社会契約説に基づいて革命を始めました。フランス革命の理論的な支柱も、イギリスの革命やアメリカ独立戦争と同じく、社会契約説なのです。

蛇足ですが、スウェーデン貴族であるハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵にフランス王妃マリー・アントアネットが夢中になったために、周囲は不倫関係になることを恐れ、彼をフランス義勇軍の将校にして、フランスから追い出しました。

無事に戦争から帰ってきたフェルゼンは、革命騒ぎの中で王妃を支え、二人はとうとう不倫関係になりました。「ヴェルサイユのバラ」という有名な小説のストーリーは、おおまかなところは史実です。ただしオスカルは架空の人物です。このようにアメリカ独立戦争とフランス革命は、密接に関連しています。

ナポレオンは、フランス革命の混乱を収拾し、近代国家の枠組みを作り上げて、社会を安定させました。特に彼が作ったナポレオン法典は、社会契約説を基にしています。フランスから亡命していた国王ルイ18世を無視して、成り上がりのナポレオンがフランス皇帝になったために、ヨーロッパの専制君主たちはナポレオンを打倒しようとしました。

ヨーロッパ大陸の専制国家との戦いに勝ったナポレオンは、それらの国に近代国家の原則を植え付け、被征服民の支持を得ようとしました。ヨーロッパ中に社会契約説をばらまいたわけで、これによって社会契約説がヨーロッパ中に普及しました。

明治になって日本は、近代国家を作ろうとして、社会契約説を受け入れました。さらに敗戦後、アメリカが作った日本国憲法は、完全に社会契約説の考え方で出来ています。