これから、江戸時代は組織的な脱税社会だった、ということを説明します。
その前に度量衡の話をします。日本は明治になってメートル法を採用しました。これはフランス革命のときに人工的に作り出した単位で、非常に無機的です。地球の円周を4万キロメートルと決め、そこから1メートルの実際の長さを割り出しました。重さにしても、摂氏4度の水の1立方センチを1グラムにしました。
ところがメートル法を採用するまでは、どの民族も有機的な度量衡を使っていました。イギリスの1フィートは、人間の足の長さです。ドイツのモルゲンという面積単位は、牛が午前中に耕せる広さです。
昔の日本の度量衡は、食料を基準にしています。人間1人が1年間に食べる米の量の平均値を1石としました。1石=10斗=100升=1000合なので、1日に食べる米の平均量は3合弱です。宮沢賢治の詩『雨ニモ負ケズ』には、「1日4合の玄米と味噌と少しの野菜を食べ」とあります。賢治は若い男なので、平均以上の4合が必要だったのでしょう。
1石の米がとれる水田の面積が1反です。室町時代までは、1反が360坪でした。1坪の水田で1人の1日分の米がとれたのです。戦国時代になって米の収量が増えたので、1反が300坪になりました。
江戸時代は、米1石の値段がだいたい1両でした。米1石は160キロだから、今の価格では5万円ぐらいになります。江戸時代のほうが今より米の値打ちがあったので、1両は今の10万円ぐらいの価値がありました。100石取りの武士は、殿様から100石とれる領地を貰っているということです。年貢率は40%ですから、実収入は40石=40両です。つまり手取り年収400万円です。
江戸時代を石高という尺度でみると、非常に分かりやすいです。幕府の統計資料によれば、江戸中期の日本中の米の生産高は3000万石で、総人口が3000万人ですから、1人の年間消費量1石とピタリと合います。ここまでは矛盾がありません。