大量の難民が日本に向かってきたら、どうする?

キリスト教には、「イエス・キリストと同じ心を持たない異教徒は仲間ではない」という考え方があります。従ってイスラム教徒など異教徒の難民の受け入れに反対する政党の主張を、西欧の国民は受け入れつつあります。

一方、大乗仏教から大きく影響を受けた大アジア主義によって、日本人の間に「支那人や朝鮮人と日本人は、文化を共有している仲間だ」という誤解が根強くあります。そのために、大量の難民から日本人を守る施策がなかなか実施されないのではないか、と私は恐れています。

おしゃか様は人種の違いが現実にあるということを認めたうえで、白人しかバラモン教の僧侶になれないという教義に反対し人間の平等を唱えていました。ところが後に生まれた大乗仏教の一派は、「人間に人種や才能・個性の違いなどもともと無いのだ。人間はみなまったく同じで、それが違うように見えるのは心が欲望によって歪んでいるからだ」と説くようになりました。(「無量寿経」を参照)

大乗仏教は日本人の心に深く染みこんでいるので、外国人と日本人は考え方が全く違うという説明をしても、なかなか理解してもらえません。

神道の「誠」という考え方はキリスト教の「自由」と非常に似た考え方ですが、違うところがあります。自由には、「キリスト教を信じる者が仲間である」という基準がありますが、誠には、「神道を信じる者のみが仲間である」という考えはそれほど強くありません。日本人は長い間日本列島の中だけで暮らしていたために、全く違う価値観を持った民族と接触した経験がなかったからでしょう。

日本が大量の難民を目の前にしてグズグズしていると、手遅れになることも予想されます。そうならないように、今から「日本人と支那人・朝鮮人はまったく考えが違うので、日本に入れるのは危険だ」ということを粘り強く、日本人に訴えていかなければならない、と私は考えています。

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