実社会の紛争を解決するために、法律はある
「日本国憲法」をどうするかという問題については、「実社会の紛争を解決するためにある」という法律に独特の視点が必要ではないか、と考えます。
「日本国憲法」をどうするかという問題については、「実社会の紛争を解決するためにある」という法律に独特の視点が必要ではないか、と考えます。
多くの日本人が「日本国憲法無効論」を支持するのをためらうのは、「法的安定性」の問題があるからです。今まで信じて行動をしてきた法的枠組みを、今になってそのような法的事実がないと言われたら困るわけです。
世論調査では、「日本国憲法」の第9条は問題だから改正するべきだ、と考えている国民が半数を超えているようです。つまり、日本人は「日本国憲法」の重大な要素が日本の骨格ではない、と考えているわけです。
アメリカとフランスが成文憲法典を作り、ナポレオンが西欧中を征服して回ってフランス式の法体系をばらまいたために、西欧で「成文憲法典を持った国が近代国家なのだ」という新しい常識が誕生したのです。
江戸時代の日本には「江戸幕府憲法」なる文書はありませんでしたが、「禁中並びに公家諸法度」「武家諸法度」や鎖国に関する諸法令があり、当時の武士たちはこれを「祖法」と呼んでいました。
日本は、同盟国が攻撃されれば自分の方から助太刀に行く義務を負う、という内容の「まともな軍事同盟」を締結しなければならない状態に追い込まれてい...
「まともな軍事同盟」を日本が締結するのに決定的な障害になっているのが、憲法第9条です。自衛のための戦争でさえろくにできないのに、助太刀に行くことなど、この憲法下で出来るはずがありません。
アジアの中で、国民全体が仲間となって助け合う(Freedomあるいは誠)という考え方を持っているのは、日本人だけです。だから日本だけが、19世紀の危機を乗り越えることができたのです。
孫文はかつての同志から「大ボラ吹き」と言われて嫌われていました。日本が相手にしなくなったので金に困った孫文は、資金欲しさにソ連の提案を受け入れました。
アメリカが支那の人権問題に介入する動きを見た日本人は、付和雷同して、日本も介入すべきだと主張し始めています。しかし、日本の誠には、わざわざ自分の方から押しかけて行って、邪悪な相手を叩きのめすという考え方はありません。