無量寿経

無量寿経(むりょうじゅきょう)は、「ナムアミダブツ」を唱える浄土宗や浄土真宗が最も重視するお経です。
このお経は、極楽浄土では様々なものの本当の姿を見ることができる、と説明していますが、そこで描かれている世界は全く平等の世界です。

例えば、「極楽浄土では、すべての人の肌の色は金色である」と書かれています。この世で黒人や白人がいるように見えるのはまぼろしで、本当は肌の色の差別はありません。

また、「極楽浄土では、人間の容貌には美しい醜いの差はない」とか、「極楽浄土では、人間の能力の差などない」とも書いてあります。

要するに、この世で不平等に見えるようなことはまぼろしで、本当はどの人間も同じ容貌と能力と個性を持っており個人差など無い、と主張しているのです。これが仏教の平等です。

能力の差などないのだから、人間の扱いはみな同じにしなければなりません。
試験の成績に差が出たのもたまたまその時の状況のためであり、本当は全ての生徒の能力は同じはずです。だから、飛び級や落第は認められません。

宇治の平等院の鳳凰堂(十円玉の裏にその姿が浮き彫りになっています)を別荘にしていた藤原頼通は、無量寿経に書かれている通り、臨終のときには阿弥陀如来が家来を大勢引き連れてお迎えに来ると信じていました。

鳳凰堂の中には、阿弥陀如来像や菩薩像がたくさんあります。頼通は臨終のとき、それらの仏像の指にくくりつけた糸の端を持ち、法悦にひたりながら亡くなりました。

仏教の平等観の影響力は強く、「人間は結局みな同じだ」と言われて素直にうなずく日本人が多くいます。