日本は国家社会主義国になった
大国と戦争をするには日本は持てる国力を総動員しなければなりません。経済活動も戦争を遂行するために国家が指導する必要があります。昭和の軍人が目指したのは、国家社会主義経済体制でした。
大国と戦争をするには日本は持てる国力を総動員しなければなりません。経済活動も戦争を遂行するために国家が指導する必要があります。昭和の軍人が目指したのは、国家社会主義経済体制でした。
支那事変が起きた時、日本と和平を結ぼうとしない蒋介石を日本軍は山奥に追い払い、最も豊かな沿岸部を支配していた南京国民党政府(汪兆銘主席)と、和平を結びました。
五・一五事件が起きた時、全国各地から裁判官のもとに、「減刑嘆願書」が山のように届きました。参加者が26人という少数の集団だったこともあって、日本人は230年前に起きた「赤穂浪士の吉良上野介邸討ち入り」を連想したのです。