派閥争いに敗れた朝鮮人は、残酷なやり方で処刑される
李氏朝鮮の両班の派閥争いで勝負がつくと、勝った方の派閥は負けた側を殲滅します。官位を奪って隠居させるなどという日本式の生ぬるい処罰ではなく、九族を皆殺しにする処刑法までありました。本人を殺すだけでなく、その高祖父(祖父の祖父)から玄孫(孫の孫)まで殺すのが「九族皆殺し」です。
李氏朝鮮の両班の派閥争いで勝負がつくと、勝った方の派閥は負けた側を殲滅します。官位を奪って隠居させるなどという日本式の生ぬるい処罰ではなく、九族を皆殺しにする処刑法までありました。本人を殺すだけでなく、その高祖父(祖父の祖父)から玄孫(孫の孫)まで殺すのが「九族皆殺し」です。
忠烈王を始め歴代の高麗王の母親が元の帝室出身のモンゴル人なので、みなモンゴル風の名前を持ち、普段は元朝の皇族と共に、夏は草原のテントで暮らし、冬は大都(北京)の宮殿でモンゴル式に暮らしていました。彼らは、自分の事をモンゴル人だと思っていたはずです。
日本と他の東アジア諸国との間には共通の文化が無いだけではなく、彼らの感覚では日本人は格下です。