前回の「勾玉は縄文時代からあった」の続きです。
勾玉を通して縄文時代を見ると、いろいろなことが分かってきます。専門の職人を食わしておけるほど、日本は産業が発達していました。6000年前には縄文人は焼畑稲作をし、3000年前からは水田稲作をしていて、決してその日暮らしの貧しい生活をしていたわけではありませんでした。鉄より硬い石を加工する技術があり、海外に輸出するほどの優れた製品を作っていました。
2300年ほど前に支那や朝鮮からの難民が日本にやってきて、縄文人に先進技術を教えてやったという説があります。しかし縄文人はすでに進んだ社会を作っていたので、難民(渡来人)たちから教わるものはありませんでした。渡来人が日本に文明をもたらしたという説は、根拠がありません。
日本書紀によれば、アマテラス(天照大神)とスサノオは姉弟です。アマテラスは高天原の支配者でしたが、弟のスサノオが国を奪いにやってきたと勘違いしました。そこで、彼女は弓矢を持ち、多くのビーズと大きな光り輝く勾玉(八尺瓊勾玉)で作ったネックレスを身に付けて、スサノオを迎え撃とうとしました。
当時、勾玉には神様の魂を集める働きがあると考えられていました。だから彼女は、神の魂を勾玉によって自分にひきつけ、その魂を自分の魂に付着させようとしました。神道は、神の魂を付着させて自分の魂を正しく強くしようとします。
神の魂を自分の魂に付着させる神事としては「タマフリ(魂触り)」が一般的ですが、勾玉を身に付けて神の魂を呼び寄せる方法もあります。アマテラスがやったのはまさにこれで、神道の神事そのものです。
アマテラスが身に付けていた大きな光り輝く勾玉(八尺瓊勾玉)は、三種の神器の一つとして今でも宮中で保管されています。
これほど神道で重視されていた勾玉が縄文時代にすでに作られていたということは、縄文時代に神道の原型ができていたことを意味するのではないでしょうか。今の日本人は、縄文時代からの信仰を受け継いでいる直系の子孫だといえそうですね。