支那人や朝鮮人は、自分の気持ちのデリケートな動きを言葉で表すのが苦手なので、外から見える形で自分の気持ちを伝えようとします。
日本人は、魂と魂が触れ合って気持ちが伝わる、と考えています。神道の「タマフリ」の神事は、神の魂を人間の魂に付着させて神の考えていることやエネルギーをもらうという儀式です。東日本大震災の時、有名なスポーツ選手や俳優が被災地を訪れて被災者と交流しました。この時被災者たちは、「元気をもらった」と大喜びしました。有名人の魂が被災者に魂に付着してエネルギーをもらった、と感じたのです。
日本人は、物にも魂がある、と考えています。少し分かりにくいかもしれないので、茶道を例にとって説明します。
茶碗や茶筅のような茶器は大事なもので、由緒のある茶器は家一軒が買えるほどの値打ちがあります。茶器をぬぐう時は、袱紗(ふくさ)という絹製の高級な布を使います。もしも粗末な紙などでぬぐえば、茶器の魂に失礼にあたると考えるからです。
朝鮮人は、茶道の考えをまるで理解できないようです。朝鮮人は、世界中の文化的に優れたものは全て朝鮮起源だ、と考えます。朝鮮人によれば、イエス・キリストも孔子も朝鮮生まれだそうです。桜のソメイヨシノも朝鮮原産だと主張し、万葉集はもともと朝鮮の歌集だというのです。茶道も朝鮮で生まれ日本に伝わった後衰退してしまったのですが、最近また復活したとのことです。
朝鮮の茶道では、茶器をトイレットペーパーやキッチンペーパーのような巻いた紙でぬぐう、という話を聞いたことがあります。汚れを落とすのにトイレットペーパーあるいはキッチンペーパーのような安い紙を使うというのは、合理的です。しかしそこには、茶器の魂がトイレットペーパーの魂が触れ合ったらどうなるだろう、という疑問はありません。人間の魂と茶器の魂が交流するとも考えていません。
話を美容整形に戻します。支那人や朝鮮人は、人間の魂が触れ合って想いが相手に伝わる、という発想がありません。顔を改良したらそれだけ相手に好印象を与えることができる、と単純に考えているのです。朝鮮人の男は、彼女が整形しているということを知っても問題視しません。「生まれてくる子供は、母親と違ってブサイクだぞ」と言っても、「子供も整形すればよい」と平然と答えたそうです。
日本人は、人間同士の交流は、つまるところ魂の触れ合いだと思っています。親からもらった顔を改良するのは、自分の姿をくらます何かしら不正な行為だと考えます。だから美容整形に抵抗があるのです。