河野洋平のように、無理をして支那や朝鮮の利益を図り日本の国益を損なう者たちがやっていることは確かに日本を害し傷つけているのですが、彼ら自身には決して日本を害しているという自覚はないように見えます。むしろ、「日本のためにやっている」という自負のようなものをも感じます。
河野洋平は今でも、河野談話を発表したことが誤りだったと認めていません。朝日新聞は吉田清治の証言を確かめもせずに新聞に掲載し、すぐにそれがウソだと分かっていながら32年間も放置していました。やっと3年前に「誤報(これは正確には捏造報道というべき)」と認めましたが、いまだに日本に重大な損害を与えたことを国民に謝罪していません。
朝日新聞のような集団には、「同じことをしても、日本がしたのなら激しく非難するが、外国がした場合は沈黙している」という面白い性質があります。「日本軍が朝鮮人を強制的に従軍慰安婦にした」というウソは喜んで報道するのに、韓国政府が実際にもっとひどいことをしたという事実を報じようとしません。朝鮮戦争の時、韓国政府は自国の娘たちを強制的にアメリカ軍の兵士向けの従軍慰安婦にし、ベトナム戦争の時はベトナム女性を強制的に韓国軍の兵士のための従軍慰安婦にしました。
今話題のいわゆるテロ等準備罪にしても大騒ぎの末にやっと成立しましたが、もっと厳しい内容の法律は諸外国では大きな抵抗もなくとっくに成立しています。もしもいわゆるテロ等準備罪に反対するならば、先ずは外国の大使館前でデモを行うべきです。ところがそのようなことは一切せず、日本の法律に関してだけ騒いでいます。
朝日新聞などが外国政府のしたことを暴露して抗議したら、外国人から激しく反撃され何も良いことはありません。どの民族も一定の愛国心があり、自国への非難には激しく反発します。だから朝日新聞などは外国に対して余計なことをしないのです。
朝日新聞や野党がウソをついてでも日本政府のしたことを追及するのは、それをすることによって新聞が売れ選挙の時に票が集まり、自分たちのプライドを満足させることができると考えていたからです。
仏教は、自分の持ち物をすべて捨て、家族と分かれて出家し、世間から離脱して山の中で独居して修行することが正しいと考えています。現実社会(浮世)はものに執着しているレベルの低い者で満ちており、汚いものです。国家とは、仏教の教えに関心のない者たちが下らないことばかりやっているところだと思っています。
だから無意識に仏教の考え方になっている新聞記者や政治家たちは、国家がまた悪いことをしている、と指摘することによって自分たちの存在をアピールできます。新聞の読者や選挙民にもこのような発想を共有する人たちが少なからずいます。民主党の党首だった鳩山由紀夫はまさにこの代表のような人物で「宇宙人」と言われ、「東シナ海を友愛の海にする」などと浮世離れしたことばかり発言していました。
浮世離れしたことを好む国民が一定数いたから、朝日新聞などもおかしなことができたのです。日本は戦争に負けるまでの長い間、現実社会のことは神道の発想で考え、死後のことを仏教で考えるというように、二つの宗教を使い分けていました。ところが敗戦を契機として神道は「戦争を引き起こした宗教だ」と評価が下がり、そのぶん仏教の評価が上がってきました。そして現実社会のことまで仏教の発想で考えるようになったのです。
根拠もなく「国家は悪いことをする」という思い込みは、日本に大きな災いをもたらします。これをなくすには、昔のように二つの宗教を使い分ける知恵を復活させなければなりません。