およそ1700年前に書かれた『魏志倭人伝』に、日本に邪馬台国という国があって卑弥呼という巫女のような女性が女王だった、と書かれています。この国がどこにあったのかを巡って日本で大論争が起こり、いまだに結論がでていません。
もしも邪馬台国が畿内にあったとすれば、この国は大和朝廷だということになり、1700年前にすでに日本に統一国家が出来ていたことになります。私は高校生ぐらいの時からしばらくの間、この謎に夢中になっていて、いろいろな本を読み漁っていました。
しかし中年になるころから、私はこの問題に興味を失っていきました。今から300年ぐらい前の江戸時代から数多くの学者が延々と論争しているのに、未だにどこにあったか分かっていません。邪馬台国に関するオリジナルの情報源は『魏志倭人伝』だけで、他の資料はこれを引用しているだけなのです。
魏志倭人伝には、「邪馬台国の都は、会稽郡東治の東(台湾あるいは屋久島付近)にある」とはっきり書いてあります。ところが日本の学者たちは「台湾や屋久島に日本の都があったはずがない」として勝手に原文を読み替え、九州にあったとか畿内にあったとか、言っているだけなのです。
もしも『魏志倭人伝』の記載が捏造されたデタラメだったら、そもそも邪馬台国という国があったことさえ、はっきりしません。ところが学者たちは、「あの偉大な文明国である支那の正史にウソが書かれているはずがない」と、思い込んでいるのです。
東洋史学者である岡田英弘博士は、「支那の正史には捏造や誤解が多い。魏志倭人伝など信用するのがおかしい」という意味のことを書かれています。私はこれを読んで長年の疑問が氷解しました。
「支那の言うこと書くことは絶対に正しい」という発想は、「大アジア主義」と通じています。日本人は、このような幻想からいち早く目覚めなければなりません。