大乗仏教は、全ては仏という一体不可分のものだ、と主張している
智恵があると、対象を分析せずに全体を一つの統一体として、直観的に理解することができます。悟ると知恵が備わります。
智恵があると、対象を分析せずに全体を一つの統一体として、直観的に理解することができます。悟ると知恵が備わります。
明恵上人は、自然物である島が感情を備えた友達だと考えていました。
明恵上人は、一途で優しい性格と熱心な修業態度で、次第に人々の信頼を得ていきました。34歳の時には、後鳥羽法皇から京都郊外の栂ノ尾の高山寺を寄進されそこの住職になっています。
暗い夜道を歩いていた時に、月が明るく照らしてくれた、と明恵上人は歌に詠んでいます。月という自然物は人間と全く同じように優しい感情を持っている...
作家の川端康成は、明恵上人を日本人の心を代表する人物だと考えています。彼が1968年にノーベル文学賞を受賞した時に行った記念講演は、のちに『美しい日本の私』というタイトルで出版されています。その冒頭に明恵上人が出てくるのです。
多くの日本人は、支那が日本にとって非常に危険であることを、認識していません。それは日本人が、「人間は結局みな同じだ」と思い込んでいるからです。そこから、話し合えば何でも解決する、と考えるようになります。
マスコミもまた、支那の真実の姿を報道していません。支那に不利な事実を報道すると、北京に駐在している記者が追放されるなど、報復されるからです。下世話な話ですが、新聞記者がハニー・トラップに引っかかっているケースもかなりあるようです。
支那人は同じところに集まって住み、チャイナタウンを作ります。そうなると集団の力で周囲に対抗するようになります。支那人がゴミを道路に捨てるのを、何度も日本人が注意すると、しまいには集団で反抗するようになります。このように従来の共同体の中に、別の敵対的な共同体が生まれるのです。そうなると治安が悪化します。
儒教の仲間概念は、同心円を描きます。中心に自分がいて、一番近いところに自分の血縁者(宗族)がおり、その外側を親しい友人が取り囲んでいます。その外側が同郷の者で、一番外に遠くにいる赤の他人がいます。日本人など外国人は、動物並みの野蛮人と考えます。
多くの支那人移民が日本に永住するということは、「自分のことよりも仲間のために、役目を果たさなければならない」と考えている日本人の中に、「みんなのため働くのはまっぴらで、自分を優先するのだ」と考える支那人が混じる、ということです。