高麗王たちは、モンゴル化した
忠烈王を始め歴代の高麗王の母親が元の帝室出身のモンゴル人なので、みなモンゴル風の名前を持ち、普段は元朝の皇族と共に、夏は草原のテントで暮らし、冬は大都(北京)の宮殿でモンゴル式に暮らしていました。彼らは、自分の事をモンゴル人だと思っていたはずです。
忠烈王を始め歴代の高麗王の母親が元の帝室出身のモンゴル人なので、みなモンゴル風の名前を持ち、普段は元朝の皇族と共に、夏は草原のテントで暮らし、冬は大都(北京)の宮殿でモンゴル式に暮らしていました。彼らは、自分の事をモンゴル人だと思っていたはずです。