神道と仏教の住み分け

神仏習合によって、見た目は仏教と神道が混合したように見えました。しかし神道と仏教はその発想がまったく違うので、教義の本質的な部分が混じりあうことはなく、別個の宗教であり続けました。

江戸時代の日本人は、神道と仏教を使い分けていました。神道は現実の社会で暮らしながら、豊かで安全な生活を求める宗教です。従って、結婚・子供の誕生・七五三・家を建てる・受験・就職など社会生活の節目で神様に祈ります。

仏教は社会生活を離脱し、心の平安を願う宗教ですから、社会生活を良くしようとする祈りにはふさわしくありません。葬式などこの世と社会から離脱するときに儀式が行われます。「葬式仏教」は、今に始まったことでなく、江戸時代からそうだったのです。

明治になって神仏分離が行われましたが、実は目に見えないところで新たな神仏習合が起きてしましました。

Freedom・LibertyやEqualityというキリスト教の信仰から生まれた考え方に、自由及び平等という仏教用語を訳語にあてたために、キリスト教の考え方を仏教で解釈するという新しい神仏習合が起きたのです。

これは、社会生活を良くしようとするキリスト教の考え方を、社会を否定する仏教の発想で解釈することであり、なんとも奇妙なことです。

このために、「自由のはき違え」や「悪平等」という、困った社会現象が起きるようになりました。

このような困った社会現象をなくすには、新しい神仏習合を解消しなければなりません。仏教の自由と平等という考え方を、社会生活をしている場面では使わないようにしなければならないのです。

キリスト教の自由・平等及び仏教の自由・平等の両方の意味を正しく理解しなければならないのです。

自由と平等という言葉を廃止して、誠と役目という言葉に換えたほうが良いのかもしれません。

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