満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった

満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった

満洲事変を起こした関東軍参謀の石原莞爾中佐も朝鮮軍を越境させた林銑十郎中将も、参謀総長の許可も得ていませんでした。これは憲法違反であり、軍紀にも違反しているので、普通なら銃殺刑になってもおかしくありません。 ところが彼らは処罰を受けずクビにもならず、石原莞爾は最終的に中将になり、林銑十郎は首相にまでなりました。

日本は、最悪のタイミングで金本位制を再開した

日本は、最悪のタイミングで金本位制を再開した

第一世界大戦が終わり、世界の列強は次々に金本位制を復活しました。日本も金本位制を復活しようとしたのですが、ちょうどその時に関東大震災が起こり(大正12年 1923年)、経済復興のために、延期になりました。そして今度こそ金本位制を復活しようとした時に、アメリカで大恐慌が起きたのです。

外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった

外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった

支那の暴徒が南京にいた外国人を襲いました。イギリスとアメリカの政府は報復のために海軍の砲艦で南京の暴徒の巣を砲撃しようとし、日本も誘いました。ところが幣原外務大臣は、この誘いを断りました。Freedomは、心の正しくない者には厳しい教育をしなければならない、と考えます。だから英米が暴徒を砲撃したのは、Freedomに則った行為です。幣原喜重郎は、Freedomの考え方を理解していなかったのです。当時も今も国際社会の原則はFreedomです。日本人の考える「自由」とFreedomは発想の根本が違うのです。それを外務大臣が理解していなかったのです。