かつては、チベット仏教の高僧と支那の皇帝の個人的な関係しかなかった

かつては、チベット仏教の高僧と支那の皇帝の個人的な関係しかなかった

ダライ・ラマやパンチェン・ラマはチベット人とモンゴル人の尊敬を集めていたので、支那の皇帝も敬意を払わざるを得ませんでした。このように、支那とチベットの関係は、国と国との関係ではなく、チベット仏教の指導者と支那の皇帝の個人的な関係だったのです。

台湾は支那の一部ではない

台湾は支那の一部ではない

石垣島の島民が台湾の原住民に殺されるという事件が起こりました。日本政府が清に抗議したところ、清政府は、「原住民は国家統治の及ばない者であるから、日本が殺人を犯した原住民を討伐することに異議を唱えない」という返事をしました。台湾が清の領土か否か、非常にあいまいな態度をとったのです。

日本は、支那を増長させた元凶

日本は、支那を増長させた元凶

天安門事件を起こした支那を世界中が制裁しました。ところが日本がまっさきに制裁破りをしたために、欧米の制裁もうやむやになってしまいました。支那をここまで増長させた元凶は日本なのです。天安門事件30周年の今年、「この時、日本は判断ミスをした」という反省の意見が多く出ています。

天安門事件の遠因は、ソ連のペレストロイカ

天安門事件の遠因は、ソ連のペレストロイカ

ソ連のゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」を始めて、政治の自由化・民主化を推進しました。この波が支那にも押し寄せて、支那共産党のトップである胡耀邦が、言論の自由化政策を推進しました。これに反対したのが、鄧小平でした。鄧小平は、経済的には自由主義・市場解放を支持しましたが、政治的には共産党の独裁を堅持しようとしていたのです。