支那では一時的に仏教が栄えた

支那で仏教が流行り出したのは、後漢末の内乱時代(2世紀末)でした。大変な時代で、後漢の最盛期に5000万人以上あった人口が、七分の一以下の7百万人少しにまで減ってしまいました。
明日どうなるか分からない不安の中で、支那人たちは精神的な救いを求めていました。

儒教は、社会を安定させるにはどうしたら良いのかを説くだけで、人の心の不安を解消することには関心がありません。それに対して仏教は、苦(精神的な苦痛)を逃れるにはどうしたら良いか、をもっぱら教えているわけで、心の宗教です。こういう理由から、多くの支那人は仏教に飛びつきました。

7世紀の初めに唐が支那を統一しましたが、仏教は引き続き盛んでした。この時期に日本は遣唐使を派遣し、仏教を熱心に導入しました。日本人にはこの時期の記憶があるので、支那では今でも仏教が栄えていると思い込んでいます。

儒教や道教など他の宗教は、仏教の教義を研究して心の理論を取り入れて教勢を挽回しようとしました。仏教の教義をふんだんに取り入れて作った儒教が、朱子学です。

唐末には、儒教や道教が仏教の心の理論を取り入れて競争力を強化したため、仏教の優位がなくなり急激に衰退しました。ちょうどこの時に日本は遣唐使を中止したので、ほとんどの日本人は支那で仏教が衰退したことを知りません。

そもそも支那人は孝を重視しますが、仏教はその反対で、出家して親族を見捨てることが正しいことだと考えます。基本的に支那人に仏教は向かないのです。

今の支那では、仏教は道教の付属のように扱われていて、支那人への影響力は極めて限定的です。朝鮮も同じような状況です。

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