領土を失っても、王朝が滅びない

鎌倉幕府の成立によって天皇家は大打撃を受けましたが、まだ政治権力や土地の支配権を完全に失ったわけではありません。しかし鎌倉幕府が倒れて南北朝時代になると、武士たちが朝廷や公家の土地を横領したため、天皇家は土地への支配権まで失ってしまいました。

儒教は、帝王が道徳を守ることだけでなく、領土を実効支配していることが、王朝存続の条件だと考えます。

後漢の末期、劉備玄徳は蜀を支配し、魏や呉と天下を争いました。蜀が後漢の後継者として正統性を主張できたのは、劉備玄徳が後漢の皇帝の子孫で道徳的にも優れているからでした。しかしそれだけではありません。

当時、後漢の皇帝の一族で道徳的にも立派な人物は、掃いて捨てるほどいたはずです。しかしその中で劉備玄徳だけが正統性を主張できたのは、彼が魏の数分の一とはいえ領土を実効支配していたからです。

南北朝時代、天皇家は土地への支配権を失ってしたので、儒教の考えに従えば日本の支配権を失うはずです。ところが日本人は、名目的ではあっても天皇家を支配者だと思い続けていました。

この時代、天皇家は南北に分かれて争っていましたが、どちらも「昔から伝わる三種の神器を保持している方が正統だ」と考えていました。

「先祖伝来の家宝の所持者が正統な跡継ぎだ」などという発想は儒教にはありません。家宝を持っていたからと言ってその人物が道徳的なわけではなく、領土を実効支配している証拠にもならないからです。

彰考館の学者たちは、日本人は儒教の教えなど頭にないことが分かってきました。

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