マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

日本国民が集まって日本という国家を作ったのであって、日本国民と無関係に日本が存在しているわけではありません。日本国憲法の前文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と書かれています。

私は日本国憲法など成立していないと考えていますが、この前文の考え方である社会契約説は妥当だと思っています。日本国憲法はこの考え方に従って、国民が国政を監視する様々な制度を備えています。

国会議員は選挙で選ばれ、総理大臣などの行政の責任者は国会議員から選ばれることになっています。だから総理大臣などの権力者が悪いことをしようとしたら、国民が国会議員選挙のときに悪い総理大臣を落選させればよいのです。

また今の憲法組織には、三権分立という権力を監視する仕組みがあります。総理大臣などの行政府の責任者が悪いことをしようとしたら、国会や裁判所がその行動を阻止することができるのです。

さらに直接請求権も国民に認められています。日本国憲法で言えば第16条の「請願権」ですが、なにも憲法を持ち出さなくても、江戸時代の「目安箱」や「殿様への直訴」など昔から認められていました。

このように「権力を監視する」合法的な制度はすでにたくさんあり、それを有効活用すればいいのです。「マスコミが権力を監視する」制度など憲法に規定されていません。「憲法に規定されていない非合法なマスコミが国民(=国家)を監視する」というのが、「マスコミが国家を監視する」ということの本当の意味です。こんなことを許してはなりません。

ドイツのヒトラーやアメリカのフランクリン・ルーズベルトなど悪いことをした権力者はマスコミを徹底的に利用しました。多くのジャーナリストは金と名誉に弱く、教養から来る深い洞察力もないので、簡単に操れるのです。トランプ大統領はそういうマスコミの弱点を知っているので、マスコミを無視しツイッターで直接国民に語りかけています。

マスコミの役割は本当のことを伝えることであって、世論を誘導することではなく、ましてや権力を監視することではありません。いま日本のマスコミは、世論を大乗仏教の発想に誘導しようとしています。

以下はひと続きのシリーズです。

11月19日 キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった

11月21日 おしゃか様の出家生活は、すさまじかった

11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの

11月23日 仏教は世界的に見ると、勢力は弱い

11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた

11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった

11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した

11月30日 憲法に違反することが出来るのは、国家だけ

12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある

12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」

12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる

12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった

12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した

12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ

12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者

12月9日 刑事事件の被告は、国家権力からいじめられている者

12月10日 支那や朝鮮が行った残虐行為に言及しない