仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

日本の僧侶は、家族や財産などの大切なものを捨てようとせず、街の中で家族と共に社会生活を送っています。修行といってもたまに本山に出かけて普通の社員研修のようなことをするだけで、形式的です。にもかかわらず、ものに執着しない心を信者に説いているわけで、言うこととやることが矛盾しています。

このような僧侶に接しているうちに、普通の日本人も欲望が渦巻く浮世(現実社会)に居ながら浮世を批判することを後ろめたいと思わないようになり、さらにはそれがカッコイイと思うようになってしまいました。

仏教は、「欲望のままにものを得ようとして凡人が互いに争うから不幸になる。だからどのような理由であれ争うことは悪いことだ」と考えます。国家は修行の足りない凡人が集まって作っているものなので、すぐに争うのです。「日本は戦争で悪いことをした」「国家は悪いことをする」という考えはこのような発想から生じました。

敗戦後、日本が戦争を起こしたのは「神がかり」の神道が原因だという占領軍の洗脳教育が広まり、神道への風当たりが強くなって、逆に仏教の人気が高まりました。そのために「日本は戦争で悪いことをした」「国家は悪いことをする」という考えが強くなってしまいました。

敗戦後に占領軍がWar Guilt Information Program(日本は戦争で悪いことをしたという意識を植え付ける政策)を実施したのがきっかけになったことは事実ですが、その傾向が今まで続いているのは大乗仏教の影響です。「日本が再軍備すれば、また悪いことをする」として憲法9条改正に反対したり、近隣諸国に根拠もなく謝罪を繰り返したりするのもこの発想から来ています。

普通の人間は欲望を捨てることができないので、現実社会で争いをなくそうとしても不可能です。だからキリスト教は、盗みや不倫などの不正な欲望を律法で禁じていますが、欲望それ自体を否定しているわけではありません。キリスト教は、正義のために戦うことを立派なことだと考えているのです。

浮世の凡人が争うのを止めさせようという大乗仏教の発想では、現実の問題を解決できません。争いや異民族が攻めてくることに対する備えは、必要なのです。

以下はひと続きのシリーズです。

11月19日 キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった

11月21日 おしゃか様の出家生活は、すさまじかった

11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの

11月23日 仏教は世界的に見ると、勢力は弱い

11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた

11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった

11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した

11月30日 憲法に違反することが出来るのは、国家だけ

12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある

12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」

12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる

12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった

12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した

12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ

12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者

12月9日 刑事事件の被告は、国家権力からいじめられている者

12月10日 支那や朝鮮が行った残虐行為に言及しない

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