仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

仏教はもともとは、失ったら精神的な苦痛を感じる大切なものを自ら進んで捨てて出家し、以後はものに対する執着がなくなるように心の修業を行う宗教でした。ものを捨てるということをまじめに実践すると大変なことになります。

おしゃか様をはじめとした初期の仏教修行者は、家族・財産や社会的地位を捨てるだけでなく、友人も作らず雨露をしのぐ家や寝るための寝具なども持たないように気をつけていました。また神や仏など実際に存在するかどうかはっきりしないもののことなど、考えないようにしていました。

このようなすさまじい生活に耐えられる人は、まずいません。仮にいたとしても人前に姿を現さないので、その存在に気がつかないでしょう。仏教というのは、全てのものを捨てることを標ぼうしながら、それを完ぺきに実践する人がいないという宗教です。

従って仏教の歴史は、ものを捨てなくてもものに対する執着を消し去ることができるように、修業の厳しさを緩和し、それに合わせて教義を修正していった歴史です。

おしゃか様の時は、前夜の夕食の残り物を施しとして受けるだけで、ほかのものは一切受けようとしませんでした。それから百年ぐらい後に、金銀を布施として受け取っても寺院という快適な場所に住んでも良いというように、ものを捨てることに甘くなっていきました。こうしてできたのが小乗仏教です。

小乗仏教が出来てから300年ぐらい経った西暦紀元前後に、今度は大乗仏教が興りました。神様や仏様が助けてくれるから、無理してものを捨てなくてもなんとかなる、という考え方です。おしゃか様は、「神や仏のような存在するのか否かはっきりしないものを考えるのは修行の妨げになるから、そんなことで頭を悩ますな」と教えたのですが、それと反対のことを主張したのです。

大乗仏教にもいくつかの教派があるのですが、日本に伝わったのはものを捨てることに最も甘い態度の如来蔵思想派です。だから日本の僧侶は、ものを捨てようとしないのです。

以下はひと続きのシリーズです。

11月19日 キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった

11月21日 おしゃか様の出家生活は、すさまじかった

11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの

11月23日 仏教は世界的に見ると、勢力は弱い

11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた

11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった

11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した

11月30日 憲法に違反することが出来るのは、国家だけ

12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある

12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」

12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる

12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった

12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した

12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ

12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者

12月9日 刑事事件の被告は、国家権力からいじめられている者

12月10日 支那や朝鮮が行った残虐行為に言及しない

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