今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

日本人の宗教観の大きな特徴の一つは、同一人物が神道と仏教という異なる複数の宗教を同時に信仰していることです。このような現象は日本以外ではあまり見られません。

神道は健康で満ち足りた生活を実現することが目的ですが、仏教は大事なものを失った時に受ける苦痛を無くすことが目的です。両者の目的が全く違うので、同じ人間が状況によって二つの宗教を使い分けることが可能なのです。

日本人は、二つの宗教の目的の違いから、現世の幸福を願うときには神道の発想で考え、仏教は亡くなった先祖の心の平安を願う時に使う、というように実際に使う場面を具体的に分けていました。少なくとも江戸時代に入ってからは、神道と仏教の使い分けを行っていました。

例えば、幕末に欧米列強が日本を植民地にしようとして大変な危機が迫った時、日本人は天皇陛下を担ぎ出し、神道の考え方によってこの危機を打開しようとしました。尊王攘夷を主張する武士たちは、「このままでは、神国日本が野蛮人に汚される」と憤慨して行動したのです。

この神道と仏教の使い分けを、日本人はごく自然にしています。例えば、結婚式を普通は神社で行い、よほどの変わり者でなければ仏教寺院ではやりません。結婚式は、今まで他人だった男女が一緒になって家族を作り大いに社会的に活躍しようということを祝う儀式ですから、現世の幸福を願う神社でやって当然なのです。最近はキリスト教の教会でやることも多いですが、キリスト教も現実社会で幸せになろうという宗教ですから、これも納得できます。

しかし、結婚式を仏教寺院ですることに、大半の日本人は違和感を覚えます。仏教は自分にとって大事なものを捨てることが立派なことだと考えているのですが、配偶者は自分にとってもっとも大事なものの一つです。

このように現実社会をなんとか良くしようとすることを仏教の教義によって考えるのは、非常におかしいのですが、明治になってこのようなことが現実に起こってきました。即ち、神道と仏教の使い分けの原則が崩れてきたのです。今に日本で起きている困難な状況の多くは、この使い分けの原則が崩れたことによって生じています。

以下はひと続きのシリーズです。

11月19日 キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった

11月21日 おしゃか様の出家生活は、すさまじかった

11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの

11月23日 仏教は世界的に見ると、勢力は弱い

11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた

11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった

11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した

11月30日 憲法に違反することが出来るのは、国家だけ

12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある

12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」

12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる

12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった

12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した

12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ

12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者

12月9日 刑事事件の被告は、国家権力からいじめられている者

12月10日 支那や朝鮮が行った残虐行為に言及しない

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