キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

日本には神道から来る発想と仏教から来る発想の二つが伝統的にあります。敗戦後は、仏教の発想から現実の社会を見る視点が非常に強くなっていて、様々な弊害も起きています。これから具体的な例を挙げてこのことを説明していきます。

最初に仏教の考え方の基本的なところを抑えていきます。

キリスト教や神道は、健康で満ち足りた生活を送ることを目的としています。神社では家内安全や良縁成就、戦勝祈願などの現世利益を祈願します。多くの日本人は、キリスト教徒は死後天国に行くことを目指しているのだろう、と考えています。しかし、キリスト教の天国は一時的な滞在場所にすぎません。亡くなった人間は最後の審判の時にみんな生き返り、神様のおめがねに叶った者は永遠の命を保障され、幸せに暮らします。

仏教の目的は、健康で満ち足りた生活を望むことではなく、精神的な苦痛と縁を切ることです。その目的のためには、満ち足りた生活を犠牲にしなければなりません。

人間は自分が大事にしているもの(家族、財産、名声、健康、若さなど)を失った時に苦(精神的な苦痛)を感じます。みんな、自分が大事にしているものは、いつかは消え失せてしまうことは分かっています。多くの人はその時はその時で、とりあえず大事なものを大事にして楽しもうとします。

しかし仏教は、大事なものを失った時の悲しみを何よりも重視します。そこで自分の大事なものを自主的に捨てて、苦の源を解消するのです。これが出家です。仏教では僧侶は結婚してはならないとしていますが、これはセックスがいけないと考えているわけではありません。配偶者も大事なものの一つだから、出家の際に捨てなければならないのです。

このように、キリスト教と神道は健康で満ち足りた生活を実現することが目的であるのに対し、仏教はものを持つことが苦の原因だとしてそれへの執着を断つことを目的としています。キリスト教・神道と仏教は、信仰の目的が正反対なのです。

以下はひと続きのシリーズです。

11月19日 キリスト教・神道と仏教は目的が正反対

11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった

11月21日 おしゃか様の出家生活は、すさまじかった

11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの

11月23日 仏教は世界的に見ると、勢力は弱い

11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある

11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた

11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった

11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった

11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える

11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した

11月30日 憲法に違反することが出来るのは、国家だけ

12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある

12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」

12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる

12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である

12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった

12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した

12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ

12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者

12月9日 刑事事件の被告は、国家権力からいじめられている者

12月10日 支那や朝鮮が行った残虐行為に言及しない

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