明治以後の家は、世襲に替えて教育などを重視した

明治になって、大名の家の考え方が日本中に広まっていきました。ただし、明治以後の家は大名の家と大きく違うところがあります。大名の家は、先祖代々家禄を受け継いだ武士が形作っていましたが、明治以後の家は世襲の要素が少なくなりました。その代わりに教育を受けた幹部が運営をするようになりました。ただし昔からの商家や中小企業では世襲の慣習も残っています。

明治以後の家は世襲の要素が少なくなった代わりに、内部の結束を強めるために様々な仕組みが産み出されました。その一つが特に戦後に顕著な年功序列です。学校を卒業した後すぐに企業に入り、長年勤めることで徐々に昇進する仕組みによって、世襲と似たような安定感を醸成するのです。

企業は結婚したり子供が生まれたりすると家族手当を支給します。また従業員の親が亡くなれば、社長が弔電を送り会社が香典を出します。これは従業員を労働力とだけ考えるのではなく、家族の一員として処遇するという考え方に基づいています。

従業員が企業を家と考えるようになれば、企業が赤字になるなど危機的な状況に陥った時に、従業員に無理をさせることができます。残業をしているのに残業手当を支給しないサービス残業などは、その典型です。

サービス残業は当初は一時的な処置で危機が去ったら中止するつもりだったのでしょうが、不況が長引いたために恒常的な制度になってしまいました。これは家制度の一種の堕落だと思います。

家の本質は事業体であり、その事業の存続と発展を目的としています。そういう視点から見ると、現代の日本の組織は家そのものです。

30年以上前の高度成長期の日本では、年功序列と終身雇用制度が花盛りでした。人手不足が慢性化していたので、必要な人材を確保し従業員の能力を高めるために、これらの制度が不可欠だったのです。

当時は、労働者が望めば誰でも正社員になることができました。非正規雇用者もいましたが、企業に拘束されたくないとか本業がひまなときだけ企業で働きたいなどの理由で、本人がそれを望んでいたためでした。