日本太郎さんへの回答

「どんな理由であれ、争いは良くない」と考える日本人が多いが、この発想は大乗仏教の教義から来ている、と私は書きました。これに対し昨日、日本太郎さんから「大乗仏教の信者は、特に戦国時代などがそうですが、かなり戦闘的だったと思うのです。武士たちの間でも、禅宗に帰依した者は多かったように思います」というコメントが寄せられました。

この件、下記で詳しく説明します。

仏教の目的は「苦から逃れる」ということです。「苦」は肉体的な痛みを指すのではなく、「大事なものを失った時に受ける精神的なショック」のことです。例えば大事な息子が亡くなった時、母親の悲しみは大変なもので、これが「苦」です。齢をとって「若さ」というだいじなものを失った時も「苦」を感じます。

大事なものも必ずなくなってしまいます。これは物理法則なので、どうしようもありません。この物理法則を仏教は、「諸行無常」と言っています。これを解決するには、「永遠に大事なものがなくならない秘訣」を会得するか、物理現象として認めたうえでそのショックを回避する方法を開発するか、どっちかしかありません。キリスト教や神道、イスラム教など通常の宗教は前者です。キリスト教の目的は「天国で永遠の若さを楽しむこと」です。

仏教やヒンドゥー教などのインド宗教は後者で、「最初から大事なものを捨てていれば、もはや失うものは無いから、苦も発生しない」という考え方です。自分の大事なものをすべて捨て去るという「出家」はこういう意味です。
「苦から逃れるため → 出家する」というのが、仏教の基本原理です。

出家して大事なものをすべて捨て去ることなど、凡人にはとてもできません。仏教は、できもしない解決法を提案している宗教なのです。そこで「大事なものを必ずしも捨てなくてもいいんだよ」という凡人向けの理屈を僧侶たちはたくさん考え出しました。仏教の教義とは、「苦を逃れるには出家しろ」という建前と、「それが完全にできなくてもなんとかなるよ」という凡人のためのいいわけの山が一緒になったものです。

大乗仏教の教義は、まさにいいわけの山です。中でも日本の仏教である如来蔵思想は、究極のいいわけ集です。比叡山延暦寺には僧兵がいて、武器を持って合戦をし、山に女を引き入れていました。これらの行為を正当化するために、「天台本覚論」といういいわけを比叡山の僧侶は考え出しました。「天台本覚論」のことは、また後日書きたいと思います。

出家した僧侶はすべてを捨てて山の中で修行をしなくてはならないはずなのに、実際は街中に住んで「大事なもの」である配偶者や財産を所有しています。彼らは寺院を「経営」していますから、顧客である一般の信者に対してサービスをしなくてはなりません。

よく街中の寺院の玄関先に「今月の教え」などとして短い文書が掲示されています。「家族はお互いを思いやりなさい」などです。仏教はもともと、出家を薦めているものです。従って「家族を大事にしなさい」というのは、仏教の教えと真逆なのです。

仏教僧とくに禅宗の僧侶は大名たちに仕えていました。安国寺恵瓊という禅宗の僧侶は毛利元就や豊臣秀吉に仕えていたし、天海和尚や金地院崇伝は徳川家康のブレインでした。これらの僧侶が大名に仕えたのは、字が読めたからであって、仏教の修行を積んでいたからではありません。

当時の武士は字が読めなかったので、戦国大名たちは行政官僚として僧侶を使いました。大名の領国を統治する官僚だったので、統治の学問である儒教の知識が必要でした。五山の僧侶など禅宗の僧侶が儒教を学んだのは修行のためではなく、寺のパトロンである大名の需要に応じるためでした。

儒教は家族を大事にする道徳(孝)を最重視するので、家族を捨てて出家することを説く仏教とは発想がまるで違います。仏教の修行をするには儒教の教えは邪魔になるはずなのです。

このように武士たちが禅宗などの仏教を尊重したというのは、仏教の教えに納得したのではなく、僧侶の現世での使い道があったからです。また加持祈祷など現世の欲望を達成するための技術をも僧侶たちが持っていたからです。

仏教は、日本に入ってきた奈良時代から仏教と習合し、神道の教義とごたまぜになっていました。明治になってから「神仏分離」を政府が推進し、神道と仏教が明瞭に区別されるようになりました。従って戦国時代の武将などは、神道・儒教と仏教の区別などしていなかったと思います。

このように、僧侶が仏教の教えと反対のことを言ったり行ったりしています。またなにげない習慣の中に仏教の発想が入り込んでいます。その一方で日本人は昔から仏教と神道の使い分けが自然にできていました。現世のことは神道で、死後のことは仏教が扱っていたのです。

説明が長くなりましたが、「武士は禅宗に帰依していた」というのは正確ではありません。「武士は禅僧の漢学の知識を活用していた。彼らは儒教や神道と仏教の違いなど意識していなかった」ということです。

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コメント

  1. 日本太郎 より:

    コメントありがとうございます。

    中世の仏教勢力は「全ての人間が仏性思想を信じれば戦争は無いのだが、現実にはそうも行かないので武装する」と言う論理で武装していたのではないかと思います。
    戦後日本の安全保障論に似てますね。
    正直言って、私も、このスタンスの人間です。
    核武装に関しても否定的なのは「因果応報」と言うものを感じるからです。
    日本人が北朝鮮や韓国中国などにODAを拠出し続けるのも「恨みに対して慈悲を以って返しなさい」「恨みに対して恨みをもって対処すれば恨みはおさまらない」と言う釈迦の言葉がよぎるからなのかもしれません。
    アメリカに原子爆弾の報復をしないのも、日本人が仏教の教えを忠実に守っているからなのかもしれない。
    しかし、やはり、釈迦の言葉は一理あって、日本人が「恨みを水に流し」かつての敵と融和して、国家の復興に尽力し、周辺諸国には慈悲の心を持って対処したことが、日本の戦後の成功に繋がった部分もあるのではないかと思います。