朝日新聞は、日本の伝統に立ち返らなければならない

朝日新聞の主張は、大乗仏教の教義から来ています。朝日新聞の記者はそんなことには全く気づいていないと思いますが、それが事実なのです。

仏教の僧侶は本来、家族を捨て、財産と職業を捨て、社会と縁を切って山の中でひっそりと修行すべき者たちです。ところが朝日新聞の記者たちは出家せず、家族を持ち物質的にも社会的にも恵まれた生活を続けながら、出家した僧侶の視点で社会を見て記事を書いています。

「国家は悪いことをする」「日本は戦前、支那や朝鮮で悪いことをした」「外国人と日本人は全く同じだから、差別してはならない」「いかなる理由があっても、戦争はいけない」「ウソも方便である」、と浮世離れしたことばかりを、朝日新聞は記事に書き続けてきました。

それも当然で、浮世(現実社会)は修行の足りない欲望を抑えることのできない者で満ちている、と社会を大乗仏教という色眼鏡を通して見ているからです。

私は阿部総理と個人的な付き合いはありませんが、その言動を見ていると大乗仏教の考え方で現実社会を見てはいないようです。大乗仏教という特殊な宗教の色眼鏡をかけないと、素直に現実を把握できます。

日本の伝統的な考え方は、大乗仏教の教義を現実社会に当てはめることをせずもっぱらあの世のことにのみ適用する、ということです。阿部総理は、この伝統を守っていますが、朝日新聞はこれに反しています。

朝日新聞のことを「反日」と呼ぶ人がいますが、私はそうは思っていません。朝日新聞の記者たちも日本を良くしようという使命感を持っているのでしょう。しかし発想が日本の伝統に反して浮世離れしているために、日本を大きく害しています。

私は、朝日新聞の記者たちが浮世離れした発想から早く卒業し、社会にとって有為な人材に立ち返ることを望んでいます。また森友問題やその他の下らない追及を中止し、憲法によって保証された「請願権」という権利を直視するべきだ、と思っています。

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