朝日新聞は、仏教僧の視点で日本を見ている

仏教は、ものを欲しがる気持ちを抑えて心を平静に保つことを目的とする宗教です。ここでいう「もの」とは、物質だけでなく家族や友人などの人間や、地位・名誉・愛情などという抽象的なものをすべて含みます。要するに普通の人間が欲しがるもの全てを指します。

ものを欲しがる気持ちを抑える修業は、まずは思い切ってすべてを捨て、一人で山に籠ることから始めます。これが出家です。家族や財産、人間関係など全てを捨てて、以後自分はものへの執着を断つ、と決意をするわけです。

ものへの執着を断ちきれず、思い切って出家ができない人間が集まっているのが、現実社会であり国家です。国家には未熟な人間が集まっているので、国家は悪いことをするわけです。朝日新聞の主張は、まさにこれです。

朝日新聞は、日本に満ちている修行の足りない者たちを教え導いて、この世を極楽浄土にしようと考えています。そのためにはウソをつくこともためらいません。日本人は朝鮮娘を強引に性奴隷にして自分たちの欲望を満たしたと、朝日新聞はウソをつきました。このぐらい強烈なショックを与えないと、日本人は反省しない、と考えたからです。なお、「ウソも方便」という考え方は、仏教からきています。

未熟者が互いに争うのは、ものを欲しがって奪い合うからです。ものに対する欲望を無くせば、自ずからものを巡る争いはなくなります。朝日新聞が憲法9条の改正に反対し、日本が軍備をすることを認めようとしないのは、いかなる理由があろうとも争いはいけない、という大乗仏教の発想から来ています。

インドにはもともと、黒人系や黄色人種系の原住民が住んでいました。そこに北方から白人種のアーリア人が攻め込んできて、原住民を奴隷にした人種差別制度を作りました。これがカースト制度です。

おしゃか様は、人種差別はいけないと主張しました。この考え方は次第に変化し、大乗仏教は、「肌の色や個性の違いは幻でそんなものは存在しない」という考え方になっています。差別がいけないのではなく、人間はそれぞれに違うと考えるのは事実誤認であり、修業が足りないのだ、と考えるのです。

朝日新聞が、「人間はみな同じで、朝鮮人を差別するのは間違えだ」という考え方は、大乗仏教から来ています。

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