是清は騙されて、アメリカで半分奴隷の身の上になった

元治元年(1864年)、仙台藩の江戸留守居役が、若者を横浜に派遣し英語を勉強させようとして、是清と鈴木知雄という同年の子供を選びました。この時是清は満9歳でした。二人はアメリカから派遣されてきた宣教師の奥さんに英語を教わりました。

慶応3年(1867年)、仙台藩は是清と鈴木をアメリカに留学させることにしましたが、この時是清は満12歳でした。仙台藩は、ヴァンリードというアメリカの商人に二人の世話を依頼し、旅費や学費を彼に渡しました。ところがヴァンリードは学費を着服してしまい、二人をサンフランシスコの自宅に住まわせて、下男としてこき使い、食事もろくに与えようとしませんでした。

窮地に堕ちいった時の二人の対応が違います。鈴木は、嫌々ながらヴァンリードに従っていました。このような従順な態度だったので、彼は穏やかな一生を過ごすことができ、後に日銀の出納局長になりました。

是清は、話が違うではないかと猛烈に抗議をしました。そこでヴァンリードの奥さんは鈴木にばかり用事を言いつけるようになりました。それを是清は横から「止せ止せ」と鈴木に忠告していました。

是清は満12歳の子供ですが、相手はただでさえ体が大きい白人の大人で、周囲に味方は誰もいません。そのような状況でまともに抵抗し、さらに仲間を助けることもできたというのは、すごいです。この窮地を突破すれば運命は好転すると信じていたから、このように明快な行動をとることができたのでしょう。

ヴァンリード夫婦は是清を持て余し、「近くのオークランド市に知り合いがいるからそこに行かないか、奥さんが英語を教えてくれるし、学問もできる」と是清をだましました。是清が承知するとヴァンリードは彼を公証人役場に連れて行き、書類にサインをさせました。

まだ英語をよく読めなかった是清はサインしたのですが、それは年季奉公契約書でした。3年間是清はオークランドの家で働かなければならない内容になっていて、いわば期限付き身売り契約書でした。

身売りをするのは是清自身なのでお金は彼が受け取るべきはずですが、ヴァンリードが着服しました。

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