神様に愛されている、というのがFreedomや誠の出発点

高橋是清は、自分は運がいい、と思い込んでいました。そのためにどんな窮地に陥っても、自分にはいつか良い運がやってくると信じて、努力をしました。

実は、この発想がFreedom(自由)や誠の考え方の原点です。自分が幸運なのは神様に愛されているからだ、と考えるのです。「自分は神様に愛されている」と確信を持つ様になるには、まずは神様の存在を信じなければなりません。

成功者と言われている人の多くは、神様の存在を信じています。松下幸之助は生前から三重県鈴鹿市にある椿大神道の神様を信仰していました。亡くなった後、この神社の境内にある「松下幸之助社」に祀られています。そもそも彼の名前が幸之助ですから、「自分は運が良い」と思っていました。新卒採用面接の時、彼は学生に「君は、自分は運がいい、と思っているか」と質問していました。

世界一の金持ちであるアンドリュー・カーネギー(1835年~1919年)は、敬虔なキリスト教徒でした。彼の築き上げた財産は現在の価格で40兆円と言われています。

是清もキリスト教徒です。彼は満12歳の時に一度アメリカに行き、明治維新と同時に日本に帰ってきました。そして日本でフルベッキという宣教師と知り合い、聖書の講義を受けてついにキリスト教徒になりました。

彼は幼いころから「自分は神様から愛されている」と思っていたので、何となく「神様はおられる」と感じていたのでしょう。それがアメリカに行きさらに帰国後に宣教師と知り合うことによって、キリスト教の信仰に結実したのです。もしも環境が違って立派な神主と知り合いになったら、彼は神道を信じるようになったでしょう。

キリスト教でも神道でもどちらでもいいのですが、神様を信じるようになると、神様の教えを守ってもっと神様に愛されようと考えます。キリスト教の神様も神道の神様も教えていることはごくシンプルで、「仲間を助けなさい」ということです。

「仲間を助けるためならば、少しぐらい世間のルールから外れても構わないじゃないか」というのが、Freedom(自由)や誠の考え方です。これをやると、周囲の人たちがほおっておかなくなります。Freedomや誠の教えをまじめに実践する人は少ないので、やれば目立つのです。

高橋是清はこれを実践しました。