高橋是清は、自分は運がいい、と思い込んでいた

高橋是清は自伝の中で、「世の人は私を楽観論者だといい、自分自身でも過去を考えてみると、何だかそうらしく思う」と書いています。

是清が3歳ぐらいの時、彼が住んでいる大名屋敷の近くの神社に、藩主の奥方がお供を連れて参詣しに来て、大名屋敷に住んでいる家来や家族はそれを遠くから取り巻いて見ていました。

奥方が神前で礼拝しているところに是清がノコノコと這い出して来て、奥方の美しい着物を取って、「あばさん、いいべべだ」と言ってしまったのです。周囲は是清の行動に凍りつきましたが、奥方は「どこの子だか、可愛い子だね」と頭をなでながら仰いました。

お供が「これは高橋という者の子供です」と言っている間に、是清は奥方の膝の上にはい上がってしまいました。夜になってお供から、明日あの子を連れて奥方のところに来い、という伝言がありました。

この命令を養父母は「おとがめがあるのではないか」と恐れましたが、とにかく大騒ぎして衣服を整えて奥方のところに行きました。そうしたら奥方が大変に喜んで、色々な物を是清にくれました。

足軽の子が殿様の奥方に呼ばれるなどということは例がありませんから、同輩の人たちは、「高橋の子は幸せ者よ」と大変に羨ましがりました。そうして「幸福者だ、幸福者だ」ということが評判になり、それが是清の耳にも入ってきました。

5歳の時、是清は大名行列を見学していて、道路の真ん中で転んでしまいました。そこに行列の先駆けの二人の武士が疾風のごとく馬を飛ばして来て、是清をその馬蹄で踏んでしまいました。ところが是清は無傷で羽織に馬の足跡が着いただけでした。騎馬武者の馬術が極めて巧みだったからです。またも「高橋の子供は幸せ者だ」と評判になりました。

是清は自伝の中で次のように書いています。「そういうわけで私は子供の時から、自分は幸福者だ、運がいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつか良い運が転換してくるものだと、一心になって努力した。今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめたる原因じゃないかと思う。」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする