欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した

明治4年から6年にかけて明治政府は、不平等条約改正交渉と欧米視察のために、使節団を派遣しました(岩倉使節団)。随員や留学生などを含めて総勢100名を超す大規模なもので、明治維新の元勲も多数参加していました。

メンバーの中には、岩倉具視(右大臣)、木戸孝允(参議)、大久保利通(大蔵卿)、伊藤博文(工部大輔)などの閣僚級も混じっていました。また、中江兆民、金子堅太郎、津田梅子など後に活躍する人物が留学生として参加していました。

明治6年に、征韓論を巡って政府高官が二派に分かれて激論が戦わされました。下記に賛成派と反対派の氏名を列挙します。
・ 反対派           賛成派
岩倉具視(公卿)      西郷隆盛(薩摩)
木戸孝允(長州)      板垣退助(土佐)
大久保利通(薩摩)     後藤象二郎(土佐)
伊藤博文(長州)      江藤新平(佐賀)

征韓論反対派は全員が岩倉使節団に参加して欧米を見聞していましたが、賛成派は全員が欧米未経験です。

征韓論反対派も明治維新という荒っぽいことをやってきた連中なので、別に平和主義者ではありません。もともと血の気の多い連中ですから、欧米を見聞していなかったら朝鮮に攻め込むことに疑問を感じなかったのではないでしょうか。

欧米を見聞する間に、団員たちは今後日本がやるべき事の優先順位を変えてしまいました。岩倉使節団の団員だけでなく、当時欧米に留学した者たちは、征韓論に反対しました。やっとのことでできた新政府でなんとか近代化を成し遂げようと考えていて、征韓論などという余計なことをする余裕はない、と考えたのです。

薩摩藩は幕末から維新にかけて大勢の若者を欧米に留学させましたが、その中で西郷の反乱軍に参加したのは、村田新八だけでした。彼も西郷の判断が間違っているとは思っていたのですが、西郷が大好きで離れられないという特殊な事情がありました。

以下はひと続きのシリーズです。

9月7日 日本の経営者は、劣化しているのではないか

9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた

9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた

9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した

9月11日 富国強兵の思想は、儒教ではない

9月12日 明治政府は、経済的自由主義を掲げた

9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない

9月14日 自由主義は、政府の役割を限定しようという考え方

9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている

9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている

9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない

9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義

9月19日 キリスト教の信者にしか自由を認めない

9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた

9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること

9月22日 渋沢栄一は、産業界のルールを作った

9月23日 自由主義は社会正義を実現することだと、分かっている人は少ない

9月24日 経団連会長は、かつては財界総理と呼ばれていた

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