人種差別についての考え方の根底が、日本と欧米では違う

日本人は1300年以上もの間大乗仏教の影響を受け続けてきたために、人間はみな同じだ、と思うようになりました。江戸時代の日本人は士農工商の身分に分かれていましたが、これはこの世の仮の話であって、本当は同じだという思いがありました。

士農工商の身分も固定したものではなく、身分間の移動はかなりありました。幕末には農民と武士の区別があいまいになり、尊王攘夷の志士や新撰組の幹部の多くが農民の出身でした。また住友などの財閥は、明治維新後に武士を大番頭にしました。三菱財閥の創業者は、もとは土佐藩の下級武士でした。このように日本の社会は、身分差があまりなく、「人間はみな同じだ」という発想が実感できるものでした。

大乗仏教の影響が強くある上に、幕末以来欧米列強の圧迫を受け続けていたので、日本は欧米列強の人種差別をけしからんと思っていました。また幕末以来日本には、アジア諸国と連携して欧米の圧力をはねのけようという大アジア主義がありました。この二つが重なって、パリ講和会議に日本が人種差別撤廃案を提案したのです。

日本は明治維新以来欧米列強と肩を並べようと努力してきたので、すでに不平等条約も改正されていました。だからパリ講和会議にわざわざ人種差別撤廃案を提出する実質的な必要性は、あまりありませんでした。アメリカの西海岸で日系移民が差別されていましたが、これはアメリカと直交渉をすべき問題です。

日本は、自分で勝手にアジアの代表だと考えていました。そこで他のアジア諸国に頼まれたわけでもないのに、主に日本以外のアジア諸国のために人種差別撤廃案を提出したわけです。そして欧米列強にこの提案を拒否され、怒ったのです。

日本は大乗仏教の発想から、人種差別をしてはならない、と信じていました。しかし欧米諸国はキリスト教の発想から、異教徒のアジア人たちをキリスト教の信仰に導いて救ってやろうとしていました。もちろん欧米列強はアジアを植民地にすることによる経済的な利益を狙っていましたが、宗教的な動機があったことは否定できません。

人種差別についての考え方の根底が、日本と欧米では違うのです。従って、議論をしてもどちらが正しいかという結論が出てくるわけではありません。また人種差別撤廃案が否決されたからといって、日本の国益が具体的に損なわれたわけでもありません。

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