欧米列強は、アジアを植民地にして現地人を救ってやろう、と考えていた

キリスト教徒は、異教徒が欲望のままに野蛮なことをして自他ともに不幸になるのを、隣人愛の考え方から救ってやろうとしました。異教徒を改宗させてキリスト教徒にしようと考えたのです。

さらに、異教徒にキリスト教社会のルールを強制して、怠惰な彼らに労働をさせ、キリスト教を体で覚えさせようともしました。こういう理屈で欧米列強はアジア諸国を植民地にして、軍隊によって現地人を抑えつけました。いわゆる帝国主義と呼ばれているやり方です。

帝国主義は非常に悪いイメージが定着していますが、欧米列強からしたら、隣人愛というキリスト教の教えに基づく立派な行為であり、異教徒をキリスト教徒と区別しただけのことです。このやり方を今の日本では、「差別」と捉えています。

このような欧米人の気持ちをよく表しているのが、キップリングが作った詩です。キップリングはイギリスの詩人で、1907年にノーベル文学賞を受賞しました。彼は1899年に『白人の責務(The White Man’s Burden)』という有名な詩を書いています。

「白人の責務を果たせ。諸君の最もできの良い子供を海外に送り、一致団結して役目につかせよ。正しい信仰を持たないために、自由がなく絶えず揺れ動く心をもった、うっとうしく野蛮な土着民に奉仕するために。半ば悪魔、半ば子供のような被征服民に奉仕するために」

白人は、アジア・アフリカなどキリスト教が普及していない地域に赴いて現地人のために奉仕する責務があると考えています。その奉仕とはキリスト教文明を教えてやることで、そのありがたみが分からず抵抗するならば、戦争をして強制的に文明化してやるべきだ、というのです。

欧米列強は、アジア諸国にしたのと同じことを日本にもしようとしました。そこで日本は植民地にされてはかなわないと思って、自らキリスト教社会のルールをとり入れて植民地にされるのを勘弁してもらいました。

明治初期の文明開化は、近代国家建設という目的の他にこういう意味もありました。大日本帝国憲法を制定して「自由」「平等」の権利を国民に認めたのも、近代国家の建設とキリスト教のルールを日本に取り入れて不平等条約を改正するという二つの目的のためでした。