神道と大乗仏教の使い分けを、復活させなければならない

日本人は、奈良時代に本格的に仏教を輸入してから1200年間、おしゃか様が説いた教えは大乗仏教の教義の通りだ、と信じ込んでいました。ところがその間に西欧列強が仏教を本格的に研究し始めました。

日本が明治維新を成し遂げた19世紀後半の西欧列強では、仏教研究が今では信じられないほど盛んに行われていました。ケンブリッジ大学、ソルボンヌ大学、コペンハーゲン大学などには仏教学の教授がいました。

明治時代にこれらの大学に日本人が留学して仏教を学んで帰国してから、日本で仏教学という学問が成立しました。そして日本人も、おしゃか様が説いたことと大乗仏教はかなり違う、ということが次第に分かってきました。「大乗仏教は仏教にあらず」と主張して、宗派から破門された僧侶も出てきました。

「大乗仏教は、様々にある仏教のごく一部であり、おしゃか様の教えとは内容がかなり違う」ということを日本人がしっかりと理解しなければなりません。

どの宗教が良くどれが悪い、という判断をすることはできません。私が言いたいのは、大乗仏教が良くないということではありません。そうではなく、「大乗仏教の教えによって、今の日本に様々な社会問題が起きている」ということを、私は指摘したいのです。

明治以前は、日本人は大乗仏教と神道を使い分けていました。現実社会に係わることは、神道の考え方で処理していました。例えば、百姓一揆や幕末維新の政治運動などは神道の考え方で行われていました。一方、死後の魂の平安に係わることは大乗仏教の考え方で行われていました。

ところが、明治になって大乗仏教の考え方で現実社会を考える傾向が生まれました。その大きな要因として、自由と平等という仏教用語を西欧から輸入した法的権利(Freedom、Equality)の訳語にあてたというミスがあります。その結果、日本人は大乗仏教の考え方で社会を考えるようになってしまいました。

仏教と神道を使い分ける習慣を、復活させなければなりません。

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