川端康成は、明恵上人を日本人の代表だと思った

大乗仏教は、1000年以上にわたって日本人の心に非常に大きな影響を与えました。そして今でもその影響力はあまり衰えていません。私は大学院で仏教を学んで、このことを痛感しています。具体的にどのような影響を日本人に与えているかを説明するのに、具体的な実例を紹介した方が分かりやすいと思います。

そこで有名な日本人の僧侶の生涯を、紹介することにしました。有名な僧侶といえば、平安時代初期の最澄(天台宗)、空海(真言宗)が頭に浮かんできます。鎌倉時代になれば法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)などの宗派の創設者がいます。

しかし私は、これらの僧侶ではなく、明恵(みょうえ)上人(1173年~1232年)を紹介しようと思います。「明恵上人など聞いたこともない」という方も多いと思いますが、江戸時代までは、知らない人がいないぐらいに有名な僧侶でした。

江戸時代は、寺子屋で読み書き・道徳などの初等教育が行われていましたが、そこで盛んに明恵上人のことを教えられていたのです。そういう意味で明恵上人は、ものすごく大きな影響を日本人に与えています。

作家の川端康成は、明恵上人を日本人の心を代表する人物だと考えていました。彼が1968年にノーベル文学賞を受賞した時に行った記念講演は、のちに『美しい日本の私』というタイトルで出版されています。その冒頭に明恵上人が出てくるのです。

揮毫を求められると、康成は「雲を出でて我にともなう冬の月 風や身にしむ雪や冷たき」という明恵上人の歌を書いたそうですが、この歌について彼は下記のように説明しています。

雲に入ったり雲を出たりして、禅堂に行き帰りする我の足元を明るく照らしてくれ、狼の吠え声も怖いと感じさせないでくれる「冬の月」よ、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。私はこれを自然、そして人間に対する、あたたかく、深い、こまやかな思ひやりの歌として、しみじみとやさしい日本人の心の歌として、人に書いてあげています。

明恵上人は、月という自然物が人間と同じ心を持っていて、やさしい思いやりに満ちている、と考えているのです。

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