日本人は、仲間のためにがんばる

「江戸時代の日本人は儒教を輸入して勉強したから、日本人は今でも儒教の考え方に染まっているはずだ」と思う方がいるかもしれません。しかしこれは思い違いで、日本人は儒教を理解していません。

儒教は、孝(血縁関係を大事にする)を、忠(組織の中での自分の役目を果たす)よりも優先します。例えば、軍隊を指揮して敵と戦っている最中の有能な司令官に、郷里から親が亡くなったという知らせが届いたとします。

この司令官はすぐさま皇帝に休暇願を出して郷里に帰り、孝の道徳に従って3年間の喪に服さなければなりません。もしもこの司令官が忠を優先して軍隊を指揮し続けたら、「とんでもない親不孝者だ」と烙印を押されて、失脚してしまうでしょう。皇帝も休暇願を受理せざるを得ないのです。

これが日本だったら、せいぜい3日ぐらいしか休暇は許されないでしょう。それ以前に司令官自身が休暇を願い出ずに、軍隊を指揮し続けると思います。このことからも分かるように、日本人は儒教の根本原理である「孝」を理解していません。

明治天皇は、「教育勅語」を出して国民に道徳の基本を示されました。抄訳を下記します。

朕おもうに我が皇祖皇宗国をはじめること宏遠に德を樹てること深厚なり。我が臣民よく忠によく孝に億兆心を一にして世世その美をなせるは、これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にこれに存す・・・
なんじ臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己れを持し、・・・
一旦緩急あれば義勇公に奉じ以って天壤無窮の皇運を扶翼すべし。

平時には、家族や友人とそれぞれの関係を大事にして暮らせばいいのですが、戦争の時は(一旦緩急あれば)、仲間を守るために兵役の義務を果たしなさいと教えています。孝よりも忠を優先しているわけで、教育勅語は日本人の常識的な道徳を説いています。

「教育勅語は儒教道徳を説いているから、保守反動の思想だ」とまったく見当はずれの批判をする人がいます。儒教思想ならば、真正面から「孝より忠を優先せよ」とは言いません。

多くの支那人移民が日本に永住するということは、「自分のことよりも仲間のために、役目を果たさなければならない」と考えている日本人の中に、「みんなのため働くのはまっぴらで、自分を優先するのだ」と考える支那人が混じる、ということです。

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