西欧諸国には、外国人労働者を定住させる気はなかった

1960年代の西欧諸国は、人手不足のために東欧やイスラム諸国から労働者を受け入れました。西欧人としては彼らを移民として定住させるつもりはなく、単なる出稼ぎ労働者で期限がきたら故国に帰ってもらおうと、考えていました。

ところが東欧やイスラム圏からやってきた労働者にとって、西欧は天国のようなところです。それまで明日は食べ物にありつけるかどうかも分からなかったのに、西欧では少なくとも衣食住の心配はなくなりました。

そこで外国から来た労働者たちは、何とかして西欧に残ろうとして、あの手この手を使い始めました。その時に彼らに味方したのがグローバル主義です。

1970年代には、アメリカ・西欧諸国や日本の企業は大きく成長して、自国だけでなく世界中を市場としてビジネスを展開する多国籍企業になりました。外国とビジネスをする際に障害となったのが、法律や慣習・文化の違いでした。

そこで自由の国アメリカの多国籍企業は、経済的自由をより強力に主張しはじめました。キリスト教の信仰から生まれたFreedom(自由)は、「イエス・キリストと同じ正しい心を持ち、人を助けるためであれば、法律や社会の慣習・文化などを破っても構わない」という考え方です。

経済的自由は、この考え方を経済の分野に応用したものです。良い物を安く売るのは人を喜ばせ助ける行為だから、これを実現するために既存の法律や慣習・文化を打ち破り変革しても良いのだ、というわけです。

製品の価格を下げるためにコストを下げなくてはならず、人件費を引き下げなければなりません。そこで多国籍企業は、人件費の安い途上国に工場を作りました。そして人件費の高い自国の従業員を解雇し、安価な外国人労働者を雇うようになりました。経済的自由を発展させ国際的に自由を追求する考え方を、グローバル主義と言っています。

このようなやり方に、「なぜ外国人を自国民より優遇するのだ」という民族主義からの反発が起きました。そこで多国籍企業は金の力で政府やマスコミを味方につけ、「人種差別や宗教差別はいけない。偏狭な民族主義はナチスと同じだ」というキャンペーンを盛大に行いました。

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