第二次大戦の前と後とでは、移民の性質が違う

移民が増えれば社会がどうなるか、ということを知るために、移民問題が深刻な西欧の状況を眺めてみましょう。

数十年前までの移民というのは、原野を農地にするために南北アメリカに移住し、そこの国民になって骨を埋める覚悟を持った農民のことでした。16世紀から西欧の人たちはアメリカに渡って原野を開拓しそこで農民になろうとしました。日本人も戦前はアメリカに、戦後すぐの時はブラジルに、自作農になろうとして移住しました。

この時代の移民というのは、西欧や日本などの先進国の人が多く、支那や朝鮮・アフリカなど後進国の人はあまりいませんでした。移民受け入れ側のアメリカとしては、近代社会の常識を備えていない民族がやって来て市民になってしまうのを警戒していたからです。

19世紀後半のアメリカは鉄道建設ブームで、多くの労働力を必要としていました。そこで支那人を苦力(肉体労働者)として大量に受け入れました。しかしアメリカ人は彼らを、移民というよりも黒人の代りとなる奴隷のように考えていました。その苦力がアメリカに定住しはじめたので、それを嫌がったアメリカ人は彼らが移り住むのを拒否するようになりました。数ははっきりしませんが彼らを虐殺もしています。

1960年代以降、第二次世界大戦の戦禍から復興した西欧人や日本人は、生活のために移民になる必要がなくなり、逆に経済成長によって人手不足に悩むようになりました。

日本も大変な人手不足になりましたが、支那や朝鮮は日本と国交がなかったので、彼らを労働力として使うことができませんでした。そこで設備投資や研究投資・人材育成を通じて生産性を向上させ、驚異的な経済成長を遂げました。

西欧も人手不足だったのですが、旧植民地や東欧諸国・イスラム諸国などから労働力を集めることができました。西欧諸国は外国人を労働力として使うことができたので、その分設備投資や研究開発など生産性を向上させる必要性が、日本ほど強くありませんでした。生産性向上のための努力の差が、日本と西欧諸国の経済成長のスピードの差になって現れたのです。

このようにして西欧諸国は、1960年代から移民問題を抱えるようになりましたが、当時の日本にはこの問題はありませんでした。

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